こんにちは。かこかと申します。
以前、学生さんの採用面接の面接官をやった時のことですが、
「御社のチャレンジ精神に魅力を感じて志望しました」
という学生さんが多かったことを思い出しました。
まあ、会社なんてどこも「うちは挑戦する会社です」って売り込もうとするので、
「うちの会社が他社よりチャレンジングな会社だと思う理由はなんですか?」
と意地悪な質問をするんですけどね。
ところで、挑戦ってどういうことでしょうか?
なんとなく意味を理解しているつもりでこの言葉を使っていますが、
本当の意味を考えたことがあるでしょうか?
いろいろ考えた結果の私なりの定義は
達成する可能性はあるけど難易度が高い事柄に取り組むこと
です。
学問的な本当の意味は私も知りませんが、こう説明されると一番しっくりくるなと思いました。
そもそも達成できないことがわかっていることであれば、それは挑戦とは言えないですよね?
「水を燃やすことに挑戦する」
という文脈がおかしいことは誰にでもわかります。
なので、あくまで達成する可能性があることが大前提です。
次に来るのが難易度です。簡単にできることであれば挑戦とは言わないですよね。
「毎日顔を洗うことに挑戦する」というのは、特殊な場合を除いて誰にでも簡単に達成できます。
よって、難易度が高い、誰にでもできるわけじゃないことが前提となります。
こうやって「どういう状態が『挑戦』でないか?」という風に考えた結果が
上述の挑戦の定義になりました。
で、もう一度よく読んでみてもらいたいのですが、
達成する可能性はあるけど難易度が高い事柄に取り組むこと
・・・ということは、つまり失敗する恐れがあることを認めている、
という風に読み取れないでしょうか?
そうです、この定義で挑戦という言葉を捉えると、
失敗する可能性も受け入れないといけないことになります。
そうじゃないと挑戦にはならないですよね?
一方で会社の上層部からよく言われる
「もっと挑戦しなさい」
という指示を考えてみると、どういう様子が思い浮かぶか?
失敗することを認めていない、あるいは失敗してはいけないところでも
「挑戦しなさい」
と言っている場面が多いように思います。
あるいは、失敗してはいけない部門に対しても
「挑戦しなさい。君たちはできることしかやらない。
全然挑戦しない」
と、まるで煽っているかのような場面が見受けられます。
そして、そう言われた下の人たちはどういう行動を取るのか?
それは、
忙しいのに無理をして本筋の業務とは別のことをやる
という行動に走ります。
とにかく、何かやろうとするんです。
それが何であるかは特に重要な問題ではありません。
そして、それが挑戦であると本人たちはもちろん、上位の人たちも思い込んでいるんですね。
挑戦の定義から考えても、こういう思考は正しくないということになります。
ですから、無理して頑張って別のことをやっているにも関わらず
お前らは挑戦しない
とまた言われてしまうのです。
失敗する可能性を認めないと挑戦という行為自体が成立しないにも関わらず、
失敗してはいけない部署や人にまで挑戦を求める。
そして無理して仕事を増やしてますます本当の挑戦ができなくなっているというのが
なんとも悲しい現実なんです。
えらいさんはみんな、「もっと挑戦しろ」って言うんだけど、忙しい中でも無理して仕事を増やすことは挑戦でもなんでもないからね
— かこか 🔧 生産技術系エンジニア課長 (@kakoka_2019) December 24, 2024
最後に自己紹介をさせてください。
私はこんな人です。
- 大手企業の生産技術を研究/開発する部署の課長
- 金属切削の生産技術歴 約20年
- 上司と部下の人間関係を中心に仕事のことを書いています
- 海外駐在経験あり
- 高周波焼入れに関する本を書きました
- Xもやってます https://twitter.com/kakoka_2019
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