仕事

悩むのは暇だから? 忙しい方が幸せな理由

こんにちは。かこかと申します。

最初に簡単な自己紹介をさせてください。

  • 大手企業の生産技術を研究/開発する部署の課長
    金属切削の製造技術歴 約20年
  • 上司と部下の人間関係を中心に仕事のことを書いています
  • インドネシア駐在経験あり。インドネシア語検定C級持ってます
  • 小さくてもいいからガッツポーズができる人生を目指しています
  • 今は簿記3級の勉強をしています

https://www.shibakin.com/self-introduction/

Twitterもやってます

https://twitter.com/Shibakin_2019

 

忙しいってイヤですよねぇ。

ゆっくりしたいし、常にプレッシャーにさらされた生活は心を蝕んでいくものです。

ですが、自分が思ったような時間がたっぷりある生活を手に入れた場合にどうなるでしょうか?

もちろん人それぞれだとは思いますが、私の場合を紹介したいと思います。
案外私と同じように感じる人は多いんじゃないかと思っています。

Baik, ayo mulai !! 🤩
(インドネシア語で、それでは始めましょう、の意味です😋)

もくじ
  1. 忙しかった私が暇になった時にどうなったか
  2. 暇は時々くらいがちょうどいい
  3. 暇も多忙もほどほどに
忙しかった私が暇になった時にどうなったか

私が30歳くらいの頃の話です。

この頃は毎日夜10時くらいまで残業をしていました。

週末も出社していたので月に100時間の残業はやっていたと思います。

上には上がいると思いますが、それでもまあ、100時間というのは多い方だと思います。

月100時間の残業に対して、残業枠がないから80時間くらいサービス残業をやっていたこともありました。

今から思うとなんともバカなことをしていたと思いますが・・・

それはさておき、30歳くらいの私は仕事がうまくいかずに悩んでいました。

自分が担当していたニューモデルの生産準備がうまくいかず、生産現場から散々文句を言われるわ、生産管理の連中からも催促されるわ、品質管理の部署からも山のように宿題を出されるわ・・・

それに相変わらず製品の要求精度を満足させることができず、悩んでいました。

パートナーになる設計の担当者もこれまた変わり者で、製造のことなんてほとんど考えていない。

図面通りの物ができればあとはなんでもいい。

そんな感じの人だったので、こちらの悩みなんて聞いてもくれない。

本当にこの時の私は四面楚歌の状態だったと思います。

精神的にもかなりテンパってしまっていた私は上司に相談しました。

そんな私を見た上司は私を別の部署に異動させてくれました。

ですが、上司はその異動について何も私に説明してくれなかったので、
私としては仕事がうまく回せないから飛ばされてしまったのかなという猜疑心に悩まされることになりました。

話を聞いてもらって、少し手伝ってもらえればそれだけでよかったのに、
異動させてほしかったわけではないのに、結果として異動させられてしまった。

あの時上司に弱音を吐いたのがダメだったのかなぁ、とか、
自分の言動を後悔するような精神状態でした。

さらにさらに、異動した先の部署がかなり暇だったんですね。

生産に関連した部署ではありましたが、第一線でバタバタするようなことはなくなりました。

その前の年までは年間600時間、申請をしていない分も入れたら1000時間くらいの残業をしていましたが、一転して新しい部署は毎日が定時に帰れるような環境でした。

ちょうどリーマンショックの頃で残業が厳しく制限されていたというのもありますが、本当に残業をしない生活になりました。

少し早めに会社に出社していた私は、定時に帰ったところで早残業がついてしまうので、毎週金曜日にはフレックスを使って15時には会社を出るような生活をしていました。

さすがに15時に家に帰るのは心苦しかったので、定時の時間になるまでマクドナルドで時間をつぶしたりしていました。

その年の残業は年間を通して11時間だったのを覚えています。

それくらい働く環境が激変したのです。

 

暇は時々くらいがちょうどいい

うらやましい!!

と思った方は多いと思います。

ですよね、毎日山のような残業をしている方にとってはこんな生活は夢のようだと思います。

私自身も最初の頃はこの生活をありがたいと思っていました。

ですが、1、2か月もするとその生活にも慣れてしまい、物足りなさを感じるようになってきました。

それまではなんだかんだで自分がいないと仕事が回らないというような状況であり、やりがいを感じることもたびたびありました。

ですが、新しい職場ではまったくやりがいを感じることができませんでした。

何より、自分の存在自体が不必要なんじゃないか、という気持ちになってきました。

だって毎日出社しても、簡単な測定をしてそれをまとめ、あとはインターネットでその頃始めた株の値動きをずっと見ているような状況でしたからね。

WBCやオリンピックをトイレにこもって携帯で見たりしていました。

まあ、それは私がダメダメなところもあるんですが😅
そんなことをしていても特に困ることがないような環境だったということです。

そうなると人間、良からぬことを考えるんですよね。
さっきも書いたように、自分が不必要な存在なんじゃないかとか、
自分がやっている仕事はまったく無意味なんじゃないかとか、
上司は自分のことを疎ましく思っているんじゃないかとか、
そういうことばかりを考えるようになってくるんですね。

忙しかった頃には思いもしなかったようなことで悩むようになるんですね。

暇であるということはとても幸せなことであるように思えますが、
実は不幸になる原因でもあるのではないかと思います。

私の場合はそれまでが忙しかっただけに、そのギャップに苦しんだというのもありますが、
ずっと暇な職場で育った人というのはそういうことを感じないのでしょうか?

私にはそれはわかりませんが、暇というのはほどほどにしないと人間をダメにしてしまう麻薬のようなものだと思っています。

 

暇も多忙もほどほどに

私は今年から新しい部署に異動しましたが、実はこの部署もそれほど忙しい部署ではないんですね。

昨年まではとてもストレスの多い職場にいたので、最近も以前と同じような悩みが頭をもたげるようになってきました。

俺はこんなんでいいんだろうか?
このまま終わってしまうんじゃないだろうか?

そんなことが頭に浮かんできては自分で自分のことを苦しめています。

忙しい時は暇な時間を持ちたいと思います。

もちろん、忙し過ぎても人間はダメになってしまうと思いますが、
暇すぎてもダメになってしまうこともあると思います。

鬱になってしまうのは何も忙しい人ばかりではありません。
自由な時間が多すぎるがゆえに自分のことを否定してしまい、鬱になってしまう人もいると言います。

忙し過ぎるのもダメだと思いますが、暇すぎるのもダメ。

多忙と暇はどちらもホドホドにしないとダメ、ということですね。

 

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