こんにちは。かこかと申します。
少し前にやる気ピラミッドについて解説しました。
やる気の構造を表していて、我ながら気に入っている記事です。
これに関連して最近あった出来事を紹介したいと思います。
私の部下のAさんは仕事に対してあまりやる気がありません。
決してサボっているということではないのですが、
積極的に仕事の幅を広げたり、質を高めたりしようとはしません。
あくまで、必要最低限のことしかやらない仕事のスタイルです。
以前からどうやったら彼にやる気というか、
前向きに仕事に取り組んでくれるかというのを考えていたのですが、
仕事を楽しんでやっている人っていると思うけど、そういう人を見てどう思う?
と質問をしてみました。
Aさんの答えは
仕事である以上、自分の好きなことばかりをやるのは良くないと思います
というものでした。
楽しんで仕事してる人を見てどう思う?とあまりやる気のない部下に聞いたら
「仕事なんだから好き勝手やるのは良くないと思います」
とのこと。
仕事を楽しんでる=好き勝手にやる
という図式でしか見れないのかと悲しくなった— かこか 🔧 生産技術系エンジニア課長 (@kakoka_2019) October 26, 2024
Aさんはきっと誰かを頭に浮かべながら話していたのだと思いますが、
Aさんの頭の中では
仕事を楽しむ = 自分の好き勝手なことをやる
という図式だったようです。
ここでやる気ピラミッドに登場してもらいます。
あくまでやる気ピラミッド理論による私の分析ですが、
Aさんは「やるべき」の要素の中の義務の次元にいるのだと思います。
普段の仕事ぶりを見ていても、言われたことしかやらない(あるいはやれない)ので
仕事=義務
という感覚を持っていることはほぼ間違いないでしょう。
つまり、やる気ピラミッドの中で言うと自分基準の枠の中にいると言えます。
自分基準の人は、他人のことも自分基準でしか見れません。
だから、「やりたい」人の中の「興味」しか見えてないんですね。
「やりたい」の中にも「率先」という他者基準の次元が存在するのですが、
自分基準の枠の中にいるとそれが理解できず、
やりたいという意識を持って仕事をしている人はすべて自分勝手な人である、
という風に認識するのだと思います。
それに対して何か一つでも他社基準を持っている人であれば、
他の要因も他者基準でもって認識することができるようになるのだと思います。
たとえば、誰かの話を聞いた時に自分と違う意見を聞いたとしても、
なるほど、そういう考えもあったか
という風に受け取れる人は他者基準を持っている人だと言えます。
他者基準を持っている人は、
覚悟を持って仕事に臨んでいる人のことを尊敬することができます。
率先して仕事をしている人のことを助けようとします。
経験を持っている人から学ぼうとします。
それに対して、自分基準しか持たない人は、
率先して仕事をしている人のことを「好き勝手にやってるだけ」と陰口を叩きます。
覚悟をもって仕事をしている人のことを「仕事の奴隷」「上司の言いなり」などとあざ笑います。
経験値があるからこそ慎重になっている人のことを「決められない人」などと貶めたりします。
今日は衆議院議員総選挙の日ですが(2024年10月27日に書いています)、
SNSで政治家を誹謗中傷して楽しんでいる人というのは、
自分基準でしか物事を見れない人なんだろうなと思います。
自分基準しか持たない政治家もいるのでそうなるのも仕方のない部分もありますが、
自分基準で誰かを貶めようとしている言説を読むのは気持ちの良いものではありません。
どうでしょう?
このやる気ピラミッドの見方をご理解いただけますでしょうか?😀
次回でやる気ピラミッドに関する記事はいったん一区切りにしたいと思いますので、
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
最後に自己紹介をさせてください。
私はこんな人です。
- 大手企業の生産技術を研究/開発する部署の課長
- 金属切削の生産技術歴 約20年
- 上司と部下の人間関係を中心に仕事のことを書いています
- インドネシア駐在経験あり。インドネシア語検定C級を持ってます
- 高周波焼入れに関する本を書きました
- Twitterもやってます https://twitter.com/kakoka_2019
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