仕事

人の役に立ちたい は常に正しいのか?

かこか
かこか

こんにちは。かこかと申します。

私が所属している部署は先行開発的な役割を担っています。
若いころに工場部門に所属しており、まったくと言っていいほど自由のない時間を過ごしてきた身からすると、
今の自由にやれる環境というのは本当に天国のように思えます。

ですが、良いことばかりではありません。

工場は特に自分が目標を定めなくても仕事が降ってきました。
そして、商品を作り出す過程にいるので、自分が会社に対して貢献できているのか?
という疑問を持つこともありませんでした。

一方で先行開発の仕事をしていると、自分たちでやることを決められる反面、
何をやればいいのかわからなかったり、
やっていることが本当に会社の役に立っているのか?
と疑心暗鬼に陥ってしまうこともよくあります。
これは味わってみないとわからないとは思いますが、けっこうな苦しみです。

そうなった時に、自分たちの役割を
「誰かを助ける仕事をする」
という風に定義する人がとても多いです。

もちろん、誰かを助ける仕事というのは尊いものですし、
喜んでもらえれば誰だって嬉しいのですが、
実際に目の前で起こっている問題や困りごとを一緒に解決するための手助けをすることが
自分たちの仕事であると思ってしまうんですね。

このような形での貢献の仕方を私は受動的貢献と名付けました。
つまり、誰かの依頼に対応するような貢献の仕方ですね。

災害の時の例で言うと、ボランティア活動がそれにあたると思います。

ですが、本当に必要とされるのはもっと違う形の貢献のしかたではないか?
というのが私の考え方です
(繰り返しますが、ボランティアが不要である、ということを言いたいわけではありません。
困っている人を助ける行為は、どんな時であっても尊いと思っています)

目の前の問題に対応するのではなくて、そもそも問題が起きないようにするとか、
問題が起きたとしてもできるだけ被害を小さくするような貢献が求められると思っています。

これを能動的貢献と名付けます。

能動的貢献ははっきり言って難しいです。
何を課題とするかがそもそもわかりにくいですし、
未来に発生する問題、かつ、それが実際に起こるかどうかもわからない問題に対する行動なのでその価値を推し量るのがとても難しい。
かつ、実際にそれが役に立ったとしても誰もほめてくれません。
目立たない存在に誰も金を払おうとはしないわけです。

実際に問題が発生した時には能動的貢献が足りないことがやり玉に挙げられるように、
本当は能動的貢献が必要であると誰しもが理解しているにも関わらず、
実際にその行動を起こそうとすると多くの人がそれを批判しようとします。

洪水が起きないようにするためには堤防が必要なのはみんなわかっているのに、
それを作ろうとすると金が無いだ無駄遣いだと騒ぎ立てる人が出てくることを見てもわかりますよね。

私は部署を預かる立場として、受動的な貢献も大事だけど、できるだけ能動的な貢献を目指そうと常々発信していますし、そのような課題を見つけ出せる人材を育成することが自分に課せられたミッションであると認識しています。

 

先日、仕事納めでした。
今年もいろんな方にお会いし、いろんな経験をさせていただいた一年でした。
私と一緒に時間を過ごしてくださった方々に心より感謝を申し上げたいと思います。
来年もよろしくお願いいたします。

・・・ブログは年内も更新しますけどね。

かこか
かこか

最後に自己紹介をさせてください。
私はこんな人です。

  • 大手企業の生産技術を研究/開発する部署の課長
  • 金属切削の生産技術歴 約20年
  • 上司と部下の人間関係を中心に仕事のことを書いています
  • 海外駐在経験あり
  • 高周波焼入れに関する本を書きました

自己紹介 はじめまして ご訪問いただきましてありがとうございます。 自己紹介させていただきます。 出...

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