こんにちは。かこかと申します。
私は以前からコミュニケーションコスト、コミュニケーションロスが
仕事の効率を下げているということを主張してきました。
一般的にコミュニケーションをしっかり取ることはポジティブに捉えられますが、
どちらかというと私はネガティブなものであると考えていて、
可能な限りコミュニケーションが少なくなるようにすべきだと考えています。
最近、企画書の内容を上司であるAさんに説明に行ったのですが、
改めてこのことを思い出しました。
何度も言うけど、中身がよくわからない上位の人にわかってもらうように資料を大量に作ることに何の意味があるのか?
誰にでもわかるようにすることが大事、というのは詭弁でしかないと思うんよね。資料を作る時間のムダさと、わからない人に判断してもらうことの危うさの方をよく考えた方がいいのでは— かこか 🔧 生産技術系エンジニア課長 (@kakoka_2019) October 29, 2024
今回の私の場合で言うと、これまで何度もAさんと企画の中身について会話しており、
企画を進めることについてはAさんも概ね同意してくれているのは間違いないと思います。
ただ、Aさんが私の言っていることのすべてを理解できていないことはよくわかっていました。
大きな組織を持つ会社にありがちなことですが、
上位に行くほど自分の専門分野ではない仕事も管理させられます。
そのため、たとえ上司であっても部下の仕事の内容を深く理解できていない、
ということがよくあります。
今回のAさんもこの場合に当てはまります。
そんな状況の中、Aさんに企画書を持って行った時に
「私にわかるような資料を作ってほしい」
「〇〇さんに指摘されても答えられるような企画書を作ってほしい」
ということを言われました。
ただ、わかる人には多くを語らなくてもわかってもらえることなのに、
ただその役職にいるという理由だけでその人にわかってもらう必要が本当にあるのだろうか、
という点がどうしても納得いきませんでした。
そのために数字を集めて加工し、資料の体裁を整えて・・・
という作業がムダに思えて仕方がないのです。
つまり、私にとってこの作業はコミュニケーションコスト以外の何物でもありません。
Aさんが内容を理解できないのは仕方がないと思っています。
個人的にAさんに恨みがあるわけでもありません。
会社という組織である以上、Aさんが判断をする立場にいるのであれば
Aさんがこうならざるを得ないことも頭では理解できます。
ただ、確かにそうかもしれませんが、見方を変えると
そもそもAさんがそこにいる必要があるのでしょうか?
かつ、状況を考えた時に、Aさんに判断する責任を負わせる必要があるのでしょうか?
わからない人が判断しないといけないという仕組み自体が本当に正しいのでしょうか?
もっと言うと、わからない人が判断しないといけないことの危うさも感じます。
それで正しく経営判断ができるのだろうか、と。
少し違うかもしれませんが、似たようなことに言及されている他の方のポストがありましたので、
紹介させていただきます。
仕事でメンタルを崩す理由の多くが「仕事が進まない」という話を聞いたとき、前職の課長を思い出した。
当時、大手企業で働いていたのですが、そこで出会ったのが、典型的なウザいおじさん。…
— 品質さん (@chokyori_tsukin) November 2, 2024
このポストの例もそうですが、自分が納得できていないのにやらざるを得ない状況は
苦痛以外の何物でもありません。
会社である以上、それは仕方がないんじゃない?
上司に理解してもらうように努めるのが部下の仕事なのでは?
という風に考える人が多いでしょう。
そして、そこをうまく乗り切れる人が出世をしていくのだと思います。
私も他に選択肢がないのでAさんに理解してもらうように努めるしかないのですが、
「この状況は仕方がない」
と言い切るのに十分な理由が存在するのでしょうか?
もっとコミュニケーションコストを減らせる仕組みが他にあるのではないか?
と思わざるを得ませんでした。
もし自分がAさんの立場になった時には、このことに気を付けたいなと強く思いました。
最後に自己紹介をさせてください。
私はこんな人です。
- 大手企業の生産技術を研究/開発する部署の課長
- 金属切削の生産技術歴 約20年
- 上司と部下の人間関係を中心に仕事のことを書いています
- インドネシア駐在経験あり。インドネシア語検定C級を持ってます
- 高周波焼入れに関する本を書きました
- Twitterもやってます https://twitter.com/kakoka_2019
もしこの記事を読んで良いと思われたようでしたら、
コメントをいただけると励みになります😊