仕事

日本の仕事の進め方をちょっと理屈っぽく語ってみた

私は4年間、インドネシアに駐在していました。
この時のことも書いていきたいと思います。

日本流の仕事の進め方の1つとして、

すり合わせ文化

というキーワードがあるかと思います。

根回しという言葉で代用される場合もあるとは思いますが、
すごく簡単に言うと、みんなで話をして決めていきましょう、という仕事の進め方です。

これがあることによってタマムシ色の結果しか出てこない
決まるまでの時間が長い
決断力がない

など、近頃この言葉は否定的な意味合いで語られることが多いのかなと感じています。

ですが、すり合わせ文化の代表と言われる自動車業界においては、
まだ現時点でも日本は世界でもトップクラスの競争力を
持っていると言っても差支えはないと思います。

かく言う私も自動車業界で働いている人間なので、
すり合わせ文化にどっぷりつかっていることを実感しています。
なかなか物事が進まない、というイライラを持ちながらも、
やはり有識者を集めて意見を聞きながら最良の選択をするべきだ、
という考えが根底にあることは認めざるを得ません。

それに対して欧米の会社はすり合わせ文化になじまない、というようなことを聞いたことがあります。
欧米については確かめたわけではないので聞いただけの話にはなりますが、
私が働いていたインドネシアにおいてもすり合わせという概念がありませんでした。

部下は上司に言われたことをやるだけ。
情報を取ってくるのも判断するのも他部署と調整するのも結果に責任を取るのも上司の仕事。
たくさんお金をもらっているんだから、それくらいやって当たり前でしょ?と言わんばかり。
少し極端な言い方かもしれませんが、概してこのイメージで合っていると思います。

 

全体で物事を進めようとしない場合、いや、その必要性を感じていない場合は
すり合わせをする必要がないわけです。

簡単に言えばボトムアップ型(日本)とトップダウン型(欧米、インドネシア)の違いだと思います。

ボトムアップ型だといろんな人と情報を確かめ合いながら進めていく必要があります。

「こういう進め方でいいよね?」
「あなたの言ってることはこういうことですよね?」
「こっちの方がもっと良いことがありますよ」

と、関係者と顔を見合わせながら物事を進めていくようなイメージです。

それに対し、トップダウン型であれば上からの指示にだけ従っていれば
自分の評価が下がることもないし、むしろ上がることの方が多いです。

私が勤めていたインドネシアの会社で一番まいったのが荷物の発送です。

簡単な荷物や書類を取引先に送るだけの話なんですが、
荷物を発送する部署があるんですね。
いろいろな部署から荷物の発送を任されるのでそれを集約することは悪くないのですが、
なっかなか発送してくれないんです。

荷物を預けてから発送まで1週間くらいかかる、ということもザラにありました。

私は私の部下に怒ります。
「なんで荷物を送るのに1週間もかかるんだ!!」
と。
すると部下は
「俺は悪くない。荷物はとっくに預けているのに送ってくれないんだ」
と泣きそうな顔をして訴えてきます。

つまり、良くも悪くも部署ごとの役割が明確であったため、
自分の部署の役割さえ果たせばあとはどうなってもかまわない、
という感じでした。
すり合わせを悪いイメージだけで語ることが私にはどうにも解せないんですよね。

というのも、インドネシアにおいては、トップダウンはセクショナリズムと同じで、自分たちの組織に都合の良いように物事を判断するからです。そして、結果が悪かろうがなんだろうが、改善するための話し合いを持たず、自分の部署が担当じゃないから関係ない、と考えがちです。

一つの部署だけが一方的に悪くて問題が発生することはほぼありません。少しずついろんな部署が関係しあって問題が発生します。ですが、俺たちがやるべきことはやった。それで結果が悪いのは俺たちのせいじゃない、という感じになります。

自分たちのやるべきことだってしっかり決まっているわけではないのですが、自分たちで勝手に自分のやるべきこと、責任範囲を決めるんですよね。
だから問題の本質には自分の部署は関係ない、とすべての部署が考え、よって、いつまで経っても改善、再発防止が進みません。
そうならないようにあらかじめ話をしておくことがすり合わせになると思うのですが、もし本当に欧米がすり合わせを必要としない仕事の進め方をしているのであれば、どうやってこのセクショナリズムを克服しているのか、というのをぜひ教えてほしいと思います。

インドネシアの会社で勤めたことがあるとはいえ、所詮、わたしの経験は日系会社。どっぷりと異国の文化につかったわけではないので断片的な印象にはなると思います。一度どっぷりと違う国の文化の中で働いてみたいなあ、という思いがあります。