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『みんなでやろう』は破滅への道 重要なのは誰が〇〇か

かこか
かこか

こんにちは。かこかと申します。

遅ればせながら話題になったこの本を読みました。


YouTubeでもいろんな解説動画があり、私もそれらを見て以前から興味を持っていたので購入して読んでみました。

今回はこの本を読んだ感想と自分の経験談を交えて話をしたいと思います。

もくじ
  1. ダニングークルーガー効果
  2. 多様性を重視することは良いことなのか?
  3. 結局大事なのは「誰が〇〇するか?」

 

ダニングークルーガー効果

本書の中で私が一番興味を持ったのは『ダニングークルーガー効果』です。

これがどういうものかというと、端的に言うと
バカは自分がバカだと認識できない
という現象を指す用語です。

一方、賢い人が自分を過小評価してしまう、という現象もこの効果で説明しています。

バカが自分の自尊心を守るために大声で発言し、賢い人はそれにつられてバカに寄せた判断をしてしまうことがよく見られる、と本書では述べられていました。

バカかどうかは別としても、声が大きい人の意見に影響を受けてしまい、多くの人が「ちょっと違うんだけどなぁ」と思いながらも、ややこしいいざこざを避けたいために、その人の意見に寄った結論を出してしまうということはよくあることですよね。

こういう現象があるがゆえに、集団で結論を出すことが難しいのだと述べられています。こういうことは日常的に経験することですよね。

多様性を重視することは良いことなのか?

では、どうすれば集団の中で優れた意思決定ができるのか。本書の中では2つの条件が挙げられています。

1つ目は「多様性を持った人が集まること」。

国籍や性別など、いろんな多様性を持った人たちが集まって意見を出すとそこに化学反応が発生し、イノベーションが生まれのである、と。

そしてもう1つは「それらの人々が一定以上の能力があること」。

つまり、バカがこの中にいると、その人につられてしまって正しい判断ができなくなってしまうのだ、ということでした。

私はこの2つの条件をすっと飲み込むことができました。日常的にもこれらの2条件が整わないがゆえにいつまでもダラダラと会議を続けてしまう、ということがよくあるからです。

会社の中でプロジェクトが始まる時、いつも言われるのが「みんなでやろう」というやつです。三人寄れば文殊の知恵じゃないですが、大勢で考えて意見を出し合った方がうまくいくだろう、という考え方ですね。

これが間違っているとは思わないのですが、この考え方に忠実に従わないといけないと考えるがゆえに、関係しそうな部署には余すことなく声をかけ、さらにあまり関係なさそうな人まで会議に招集されます。

確かにいろんな職種、いろんな立場の人から意見を募るということは課題を余すことなく拾い上げるという意味では効果を発揮するとは思いますが、参加者の能力もバラバラであるのが普通です。能力、というとちょっと語弊があるかもしれませんが、少なくともプロジェクトの目的をきちんと理解し、自部署の都合を超えて全体としての優先順位をイメージできる人達ばかりが参加するわけではありません。中には「上司から参加しろと言われたけど、何も説明を聞いてないから何をするのかわからない」という人もいます(そういう人は意外と多い・・・)。そして、プロジェクトの背景や目的に対する理解度が揃っていない人たちにも意見を聞きながら進めていくがゆえに、みんなのバラバラな意見に引っ張られてしまって方向性が定まらなくなる、というパターンは本当によくありますよね。

これは、さきほど挙げた2つの条件のうち、多様性の方を重視し過ぎてしまうがゆえに起こる現象だと私は考えています。参加者の特徴や理解度を重視せず、とにかく多くの人を集めて意見を聞こうという意識が強すぎてしまい、結果、本来の目的を見失ってさまよってしまう、というわけです。

結局大事なのは「誰が〇〇するか?」

本書では「集団の中で優れた意思決定をするための2つの条件」が書かれていますが、私が思うに、これら2つの条件だけでは優れた意思決定をすることはできない、と考えています。

集団の中で優れた意思決定をするために最も重要な条件はというと、それは、誰が決めるかが明確である、ということだと私は考えています。

多様性に富んでいて、かつ、一定以上の能力を持った人が集まったとしても、当然のことながら出てきたたくさんの意見をまとめる人がいなければ意思決定はできません。すべての参加者が満足できるような答えが存在することはほぼありませんから、たくさんある選択肢の中から何を抜き出すかは大勢で話し合って決めることはできないのです。

当たり前のようにも思えますが、実際にはこれができていない会社は多いのではないでしょうか?

何かのプロジェクトが始まる時に立派な体制表が作られ、関係する部署(実際には関係しなさそうな部署まで)がずらっと並べられます。そして、「オーナー」や「ステアリングコミッティ」など、一見何をするのかよくわからないポジションにはおエラ方の名前が並び、キラキラした見栄えの良い体制表が出来上がります。ですが、実際にプロジェクトを遂行していくために必要な「プロジェクトリーダー」のポジションが存在しなかったりします。

ポジションが存在しないというのは言い過ぎかもしれませんが、存在していたとしてもそれっぽい人の名前が書かれているだけで、実際に現場レベルでバシバシと決めていけるような人でなかったりもします。

それはなぜかというと、「決定権」という言葉の持つ重みが原因であると私は思っています。決定権を与えるとするならば、それなりのポジション、肩書を持つ人でないといけない。ゆえに、〇〇部長などのそれなりのポジションの人が人選されます。ですが、実際にはその部長は最前線で起きている問題を把握していない場合が多いです。そりゃそうですよね、部長ですから。

実際には現場で起きている課題を拾い集め、どちらの方向に進めていくかを決めているのは課長やその下の係長レベルであることが多いです。したがってこれらの人に決定権を与えないといけないのですが、こういう人たちに決定権があることを明確にした体制表を今まで私は見たことがありません。おそらく、そんな下っ端の人たちに決定権を与えるのは荷が重すぎる、とか、体制としてかっこが付かない、などと思われているのだと私は考えています。よって、実際には決定するだけの情報を持たない人が体制表の中で宣言されてしまい、本来決定権を持つべき人が体制表の中に名前がない、あるいは決定権が認められているような配置になっていないのです。

つまり、多様性(みんなでやろう)が強調され過ぎてしまい、横並びの体制表になることが多いのが実態ではないでしょうか。そういう体制表は得てして誰が何を決めるかがわからなくなっているものです。

3つの条件の中で多様性を重視し過ぎてしまい、一定以上の能力を持った人を人選することや、現場レベルでの決定ができる人を決めずにスタートしてしまうプロジェクトが世に溢れているというのが私の印象です。

これは特に複数の部署を横断する時によく見られる現象だと思います。

「みんなでやろう」と言う人(エライさんである場合が多い)は、悪気があってこの言葉を使っているわけではないと思うのです。ですが、
・多様性
・一定以上の能力を持った参加者
・決定権を持ったリーダー
という3つの要素のバランスを考えないまま、多様性のみを重視した指示を「無意識」に出してしまっているということを認識すべきです。

そんなこと言わなくてもわかるだろ、と思うかもしれませんが、言わないとわからないものですよ。

 

かこか
かこか

最後に自己紹介をさせてください。
私はこんな人です。

  • 大手企業の生産技術を研究/開発する部署の課長
  • 金属切削の生産技術歴 約20年
  • 上司と部下の人間関係を中心に仕事のことを書いています
  • インドネシア駐在経験あり。インドネシア語検定C級を持ってます
  • 高周波焼入れに関する本を書きました

自己紹介 はじめまして ご訪問いただきましてありがとうございます。 自己紹介させていただきます。 出...

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