こんにちは。かこかと申します。
私は株式投資をしているのですが、投資の世界において絶対に忘れてはいけない大原則があります。
それは、未来は誰にもわからない、ということです。
過去のデータを分析することで未来をある程度予想することはできますが、
今からやってくる未来を確実に言い当てることは不可能です。それができる人というのはほんの一握りの天才か、あるいは詐欺師でしょう。
言われてみれば当たり前のことでも、それを理解できていない人が多いのが実態でしょう。この大原則をきちんと理解したうえで投資戦略を考えている人が投資で勝てる人なのではないかと私は考えています。
普通の社会生活でも忘れてはいけないことがあります。
それは、社会は複雑なものであるのに対して、人間の理性は限界がある、ということです。
当たり前のことですが、課題は世の中に常に存在します。国家的なレベルでも存在しますし、会社単位でも存在する。どこの単位で区切ったとしても課題は必ず存在します。
なぜそのような課題が存在するかというと、私が思うのは、どんな時であっても絶対的な正解は存在しないから、ということだと思っています。
たとえば、自分が食品会社に勤めているとしましょう。
自分たちが作ろうとする製品が甘い物であるか、辛い物であるかを決める会議をするとして、絶対的に正しい結論を導き出すことができるでしょうか?
普通に考えて、甘い物を作っても、辛い物を作ってもどちらも正解でもないし、間違いでもないでしょう。過去のデータを分析して、最近は甘い物が売れているから甘い物を作ろう、という結論になるかもしれませんが、これから先も辛い物が売れないかというと、それは誰にもわからないはずです。
また、よく言われるのが文化的な背景の違いです。
日本には多くの社会課題が存在しますが、それは行き過ぎた平等主義が悪い、という結論に行き着くことが多々あります。一方で欧米諸国は個人主義だから適切な競争が働き、それによって良い結果を生み出している、という類の論調です。
もちろん、そういった面もないわけではないのでしょうけど、日本の平等主義があるがゆえに諸外国に比べても日本人の教育水準が高いという事実があり、当たり前のように他人に親切にしてあげられる国民性が育まれたと言えます。
実際に私はインドネシアに駐在していましたが、日本の教育水準の高さを実感させられました。
こんなことを言うのも問題があるかもしれませんが、私が勤めていた会社の大卒スタッフも日本人の標準的な大学生に比べて知識量が少なかったです。知識量が大事ではないにしても、うまく周囲とコミュニケーションを取りながら仕事を進めていける、いわゆる要領の良いスタッフもほとんどいませんでした。そして、物事を深堀する力、少しずつ改善していく力で言うと、日本の製造現場の人たちの実力を感じずにはいられませんでした。
そして、一番教育の差を感じたのが医療です。
インドネシアの医療水準は本当に低かったです。私の知り合いの息子さんが腹痛で病院に行った時の話ですが、最初の診断では盲腸かもしれないと言われたのですが、インドネシアでは安全に手術ができない。それでも良ければインドネシアでも手術するけど、日本に帰って手術するか、シンガポールに行って手術するか、選んでください、と言われました。
その時点で驚きですが、さらに驚くことに、検査が進むにつれて、盲腸ではなくて結核かもしれない、と言い出したそうです。盲腸と結核?それって近い症状が出る病気なの?迷うような物なの?と医療素人の私は思ってしまいました。
結局、結核でも盲腸でもなく、軽い腸炎だったそうですが、このエピソードはインドネシアの医療水準の低さを象徴していると思います。
日本においてももちろんすべての病院が高水準であるとは言いませんが、小さな病院でも比較的しっかり診てくれるところが多いですし、困ったら大きな病院で精密検査をしてもらったり手術してくれたりもするでしょう。それは、紛れもなく教育水準が高いことを表していると言えると思います。
私が体験したのはいわゆる新興国と言われるインドネシアでの出来事ですが、先進国と言われる国でも、四則計算がまともにできない人がけっこうな割合でいると言われます。確かめたわけではないですが、いろんなところで聞く話なので、おそらくそれほど間違った情報ではないのだと思われます。
私たち日本からするとうまく個人主義が機能しているように思える欧米でも、それに伴う社会課題は多く存在していますよね。よく聞くのが個性を大事にするあまりに格差が大きくなってしまい、貧富の差がとても大きくなってしまっている、ということです。
また、年功序列が薄い国では、後輩に仕事を教えないと言います。なぜなら後輩に自分の仕事を取られてしまうと自分の職がなくなってしまうからです。これだと、なかなかうまく技術の伝承ができなくなってくるのも当たり前ですね。
つまり、日本も欧米も、どちらが良くてどちらが悪いというわけではない、ということです。社会は複雑な物であり、絶対的な正解はありません。ただ、日本は平等という意識が強くなる文化を形成するに至ったというだけであり、欧米が違う文化を形成していた、というだけの話です。
ですが、欧米の良いところばかり見ていると、日本が停滞してしまっているように思えるものです。特に何十年もの間、経済が停滞してしまっている日本では、とにかく何かを変えないといけないという強迫にも似た雰囲気が国や社会を支配していると思います。
このような恐怖を覚えた人が何をやるかというと、いわゆる改革です。
行財政改革、グレートリセット、ゼロベース改革などという言葉が使われて、とにかく現状を否定して変化していくことこそが良い、という風潮が長年続いています。
これも国だけではなく、会社の中でも同じです。
私の会社でも、常に変化が求められています。現状維持は退化しているのと同じ、という言葉に触発され、とにかく変化をすることが正義であると言わんばかりです。
確かに変化は必要であることは間違いないと思いますが、変わることが目的化してしまっていることが多くみられるのではないかと私は思っています。
今のままではまずい。会社が衰退してしまうかもしれない。だから、とにかく変えろ!!
というようなぼんやりした指示が上層部から発令されることが私の会社では何年かおきに必ず発生します。こういうのは本当に困ります。
変えろと言われているし、変わらないといけないのもなんとなく感じている。
だけど、何が悪いかがわからないし、どういう姿を理想としているのかも教えてもらえないので、何を変えたらいいのかがわからないのです。
私が勤める工場においても、確かに今の断面で見るとお世辞にも最高効率で稼働しているとは言えません。ですが、これまでも状況に合わせて少しずつ変化をしてきています。なんとか現状の中でも最良の結果が出せるように微妙なバランスを保ちながら運営されているのです。
それなのに、何が問題になっているかもよくわかっていない人が、変わることを目的化してしまっているような指示を出してきます。変えないといけない所と、維持すべきところがあるのに、すべて一律で変えることを求められます。
そうなると何が起こるかというと、目的を欠いた無駄な議論と資料作りです。
経営層が何を考えているかがわからないから、こういうことかなぁ?と迷いながら大勢で長い時間をかけて話をして結論らしきものをまとめます。それを経営層の人にも理解できるような資料を作成します。そして経営層に打ち上げるわけですが、ほぼ100%の確率でやり直しを命じられます。もともと経営層の指示があいまいであり、どういう姿でありたいのかもしっかり説明してくれていないので、当然と言えば当然ですよね。それで、何が悪くて何が足りないかも言われず、提案の不足点ばかり上げ連ねて否定ばかりしてきます。その無駄なルーチンを繰り返した挙句、時間切れになって最終結論を無理矢理に導き出すわけですが、よく見てみたら最初の提案に戻っていた、なんてことは会社あるあるです。
今まで甘い物を作っていた会社が、急に辛い物を作り出すような、そんな急激な変化を性急に進めてしまうと、今まで微妙な感覚で成立していたバランスが崩れ、何か大きなものを失ってしまう恐れが出てきます。もともとは大きな成果を出そうとしていたにも関わらず、逆の結果が得られてしまうというのは皮肉な話です。
そうなってしまったとしても、またその中でなんとかバランスを保てるようになってくると思いますが、やっとバランスが取れたところでまたしても「変われ!!」と言われてしまい、どんどんと退化していってしまう、というのが、組織が衰退していく原因なのかなと、少し規模が大きなことを考えてしまいました。
最近面白い本を読んだので紹介します。
私はこの本の著者である中野剛志さんの著作を何冊か読んだことがあるのですが、
どの本もとてもわかりやすい文章で書かれているので好きです。
最近はあまり読んでいなかったのですが、久しぶりに中野さんの著作を読みました。
今回もやはり面白い本でした。
名前の通り、この本は社会科学について書かれた本であり、
古典と言われる本をいくつかのテーマに分けて紹介してくれています。
この本の中で特に印象に残った箇所を抜粋して紹介したいと思います。今回の記事のテーマを後押ししてくれる記述だと思います。
社会は複雑なものであるのに対して人間の理性には限界がある。つまり人間は社会という物を十分に理解していない。一人の人間についてすら複雑で精妙なのでよくわかっていない。普通に考えて、よくわかっていない物を抜本的に改革したところで、それが成功するはずがない
(本書から抜粋)
ラディカルな改革が失敗する理由は、「社会も人間も複雑微妙だから」ということに尽きる。社会の複雑さ、人間の微妙さに耐えられない人たちが抜本的改革をやりたくなる
(本書から抜粋)
本書のタイトルにあるような社会科学、古典と言われると取っつきにくい印象を受けるかもしれませんがそんなことはまったくなく、むしろ古典こそ新しいというか、今の世の中でも十分に通用する内容だなと思いました。
ここは著者の中野さんがとてもわかりやすく、かみ砕いて紹介してくれているからそう感じるのかもしれません。
科学とは自然科学と社会科学に大別されます。本書の中でも触れられていますが、自然科学というのは新しい発見が重ねられてどんどんと進化していっていますが、社会科学は昔から大きくは変わっていないように見えます。
社会科学とは人間の社会を科学する学問ですから、この学問が大きく変わらないということは、人間という生き物が昔から大きく変わっていないということを表しているのかもしれません。
世の中は複雑であり、人間は微妙である
未来は誰にもわからない
ゆえに、絶対的な正解はこの世に存在しない
これこそが真理であり、いくら大義名分が素晴らしいものであったとしても、これに反する行動は失敗に終わるという教訓として受け止めたいと思います。
最後に自己紹介をさせてください。
私はこんな人です。
- 大手企業の生産技術を研究/開発する部署の課長
- 金属切削の製造技術歴 約20年
- 上司と部下の人間関係を中心に仕事のことを書いています
- インドネシア駐在経験あり。インドネシア語検定C級を持ってます
- Twitterもやってます https://twitter.com/Shibakin_2019
- 高周波焼入れに関するnoteを執筆中です
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